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宮古島Style [ presented by Miyakojima City ]

宮古島Style [ presented by Miyakojima City ]

episode.2

世界が羨む海。宮古島ビーチイベントとちょっと歴史のお話を。

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episode2
  • 「海」

宮古島の海のお話

あなたもきっと、宮古島と言えば海と答えるはず。

私達にとってはとても身近な海。だからこそイベントも歴史もあるのです。

もし宮古の海をもっとディープに楽しむなら、地域のイベントごとまるっと楽しんでみるのもおすすめ。

宮古島の海は何故こんなに透明に澄んでいるのか。

宮古島の地質は琉球石灰岩からなる島です。琉球石灰岩は海水準変動や沈降により、海上に出たサンゴ礁が発達してできたもので、厚い層をなしています。

多くの空隙を含んだその構造は、水を通しやすく、加えて地表を流れる大きな川も無いため、海に直接泥などが流入しません。ですので、宮古島周辺の海は透明度が高いのです。

これであなたも、ちょっとだけ宮古の海に詳しくなりましたね!

うみびらき

宮古島の海開きは例年4月の第1週の日曜日に行われます。場所は「東洋一」とも言われる与那覇前浜ビーチで行なわれ“サンゴの楽園未来まで集まれ遊ぼう~宮古島の海びらき”をキャッチフレーズに、島内の子どもたちや観光の方々が初泳ぎを楽しみにやって来ます。

宮古島の与那覇前浜ビーチは、およそ7kmにわたって続く美しい白い砂浜と、海の青さのコントラストが人気の沖縄を代表するビーチの1つ。眩しいほどの白い砂、太陽の光で色が変わるエメラルドグリーンの海、真っ青な空。間違いなく最高のビーチです。砂も本当にキメ細かくサラサラです。来間大橋が目の前に見え、晴れていればこれ以上ない宮古ブルーの海を堪能できる、日本でも最も贅沢なロケーションで行われます。

神に仕える女性(地域を代表したツカサ)たちの海の事故防止を祈願(ニガイ=願う)から始まります。与那覇前浜ビーチでの海開きだけでなく、他のビーチでも海開きの際はこのニガイが行われ、宮古の海の安全祈願がされているのです。

初泳ぎの証の配布や宝探し、ビーチフラッグやビーチ相撲、綱引き、スペシャルゲストによる生ライブなどなど、子どもから大人まで楽しめるイベントです!

4月上旬の宮古島は、正午の気温が平年並の23度~28度。年によっては海水浴には少し肌寒かったり、ともすれば夏日のような日になることも。周りの人よりもひと足お先に、宮古島の最高のビーチで海開きしませんか?

ハーリー(海神祭)

沖縄本島から南西に約300kmの距離にある宮古島。四方を海に囲まれ、周辺には、池間島・伊良部島・来間島があります。海とともに暮らしてきた島だからこそ、海の神に感謝し、豊漁を祈願する伝統の海神祭・ハーリーが脈々と行われています。

海神祭は旧暦の5月4日(ユッカヌヒー)に、宮古島の各地の漁港で1年間の航海安全と豊漁を祈願する伝統行事。「サバニ」と言われる沖縄の伝統的な行事で、木造の小型漁船でレースが行われます。

宮古島だけでなく、沖縄県内各地で「ハーリー」が行なわれますが、宮古島では参加者全員で「クイチャー」を踊ってからハーリーがスタートしたりと、他の離島とはまた違った海神祭になります。その後、海の恵みに感謝をし、航海安全と豊漁を祈願する「御願(うがん)ハーリー」が行われ、大漁旗を掲げた漁船のパレードが行われ、大漁旗をなびかせながら来場者へ自慢の旗を披露!それが終わると、子供や婦人会、各企業や学校関係者によるハーリーの対抗リレーが行われたりもします。

伊良部島のオーバンマイではカツオの切り身が宙を舞いますが、地域によっては、小中学生対象に船の上からパイナップルを投げ、子どもたちが泳いで取り合う余興もあり、子どもから大人まで楽しく参加できる伝統行事です!

海の神様も、人々が歓喜の声をあげて海辺でにぎわっている光景をきっと喜んでいることでしょう。ぜひあなたもこの地域に根ざしたお祭り、ハーリーを近くの漁港へ見に行ってみませんか?

サニツ浜カーニバル

サニツ浜カーニバルは宮古島市下地与那覇湾(通称サニツ浜)は、干潮時に700haにわたる広大な砂地の干潟が出現します。その砂地を利用した水中駅伝・ビーチドッチボール等のスポーツや誰でも気軽に参加できる、輓馬、モトクロス、綱引き、ビーチバレー、相撲大会などのレクリエーションを取り入れたイベントで、その広大な干潟の中で毎年各競技に熱戦が繰り広げられ、宮古島内外から注目を浴びる大会。

ちなみに、サニツ浜の干潟は渡り鳥も観察できる場所でもあり、日差しを遮る木々の間を抜ける風は心地よく、潮の干満によって刻々と変わる干潟に、与那覇前浜側に来ると全く違う表情も見せてくれます。

ゆったりしたくなったら、またフライトまで時間が少しあったら、ちょっと歩いてみてください。なんとなくですが「あぁ…いいね。」という気分にさせてくれるはず。

久松五勇士

これは、当時は世界に見向きもされなかった宮古島の勇者たちのお話。

1905年、ロシア海軍のバルチック艦隊が極東へ向かっていました。同年5月23日、奥浜牛という那覇の帆船乗りの青年が宮古島付近を北上しているバルチック艦隊を発見したのです。

バルチック艦隊も彼を視認していましたが、龍の大漁旗と、独特の長髪のために中国人と判断して捕えませんでした。奥浜は宮古島の漲水港(現・平良港)に26日午前10時頃に着き、駐在所の警察官とともに役場に駆け込みました。

もちろん宮古島は大騒ぎ。当時の宮古島には通信施設がなかったため、島の重役・長老達の会議の結果、石垣島にこの情報を知らせる使いを出す事となり、松原村の垣花善・垣花清・与那覇松・与那覇蒲と、久貝原の与那覇蒲の漁師5人を選抜したのです。それが宮古に伝わる英雄譚「久松五勇士」なのです!

5人は15時間、170キロの距離をサバニを必死に漕ぎ、石垣島の東海岸に着いて、さらに30キロの山道を歩き、27日午前4時頃、八重山郵便局に飛び込みました。局員は宮古島島司(島長)からの文書を垣花善から受け取り、電信を那覇の郵便局本局へ打ち、電信はそこから沖縄県庁を経由して東京の大本営へ伝えられたそうです。

しかし、日本本土への連絡は信濃丸(日本郵船の貨客船)によるものが数時間早かったため、この情報が直接役に立つことはなかったそうです。そのため、その後5人の勇敢な冒険は忘れられていましたが、昭和に入って、この事実が発掘され教科書に掲載されると一躍評価が高まり、5人は沖縄県知事から顕彰され郷土の英雄となりました。

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世界が羨む海。宮古島ビーチイベントとちょっと歴史のお話を。