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宮古島Style [ presented by Miyakojima City ]

宮古島Style [ presented by Miyakojima City ]

episode.8

神事を大切に。伝統は受け継がれていくもの。

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episode8
  • 「祀」

神様を祀る

神事とは、神に関するまつりごと、儀式。

神前での祈りや神に伺いを立てることなどで、神と結びつく。

宮古島の神事を見に行く際は「一緒に参加して願う」という気持ちでご参加くださいね。

宮古島には大小含め1,000を超える御嶽(うたき)があるといいます。御嶽とは、集落を守る拝所のことで、神話の源だったりすることもありますし、男性は立ち入ることもできない場所も存在します。

ツカサンマ・ノロ・ユタ・カンカカリャ・カミンチュ…沖縄にはこのような呼ばれ方をする司祭や、現代風に言えばシャーマンのような存在の方々がいますが、もちろん宮古島にもいて、無病息災、実り多い五穀豊穣に感謝し、神様に伝える役目を担っています。

神様にお伺いする。そういう光景が日常の宮古島。神事、祭事をいつまでも絶やすことなく後世につないでけますように。

あるフンマ(神事を司る『ツカサ』の最上位)によると「人は亡くなると、御嶽の神様になる」…そんなお話もあるのです。精神世界のお話、あなたが信じても信じなくても、「有る」のです。

十六日祭

旧暦の1月16日に行われる「旧十六日祭(ジュウルクニツ)」でした。沖縄本島北部地域、八重山・宮古などの先島地域の伝統行事。親戚一族が旧盆同様にお墓に集まり、重箱料理、お菓子や果物、お酒などをお供えし、お線香を焚きます。この日は学校や会社も半休だったりと、一族みんなでご先祖様のお墓を参ります。

あの世(後生・グソー)の正月といわれる十六日祭ですからお墓参りをするのは当然かもしれません。「沖縄のお墓参りって賑やかなんでしょ?」というところまではなんとなく思う方も多いかと思います。ですが、何で旧暦の1月16日なの?というその理由ってご存知ですか?言い伝えによると様々なものがありますが、一番暦に関係しているものをご紹介しましょう。

お正月といえば、お正月の神さまが自宅でゆっくりと過ごす日です。神様は神聖な場所でなければ避けて通ってしまうため、お正月前になると家中をきれいに掃除し、松飾を入口に飾って正月の神さまをお迎えします。

でも沖縄ではご先祖様も神様なんです!33回忌を迎えると土地の神さまとなるのですが、それまでは家の神様であるため、ご先祖様に会いに行くには墓に行かなければいけません。ところが!お墓は不浄の場であると考えられているため、神聖な場所でなければ避けて通ってしまうお正月の神さまにとっては大敵です。

お正月の神さまも先祖神様も、沖縄の人にとっては大切な神様に違いはありません。でも「わざわざ福を招くために自宅に来ていただいている正月の神さまを不快な思いにさせてはいけない」ということで、松飾を外すことが出来る旧暦の1月15日まではお墓参りはできません。

その代わりに、この世の正月が終わった翌日を「あの世の正月」とし、お墓参りをしてご先祖様を盛大に供養するようになったと言われています。「正月の神様がいる間は墓参りが許されなかった」これが十六日祭に墓参りに行くようになった理由だともいわれています。

島尻のパーントゥ・プハナと上野野原のサティパロウ

「宮古島のパーントゥ」は、島尻の「パーントゥプナハ」と野原の「サティパロウ」の総称で、1993年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2019年、宮古島のパーントゥが国連教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産へ登録されました。

泥を塗られて厄除け!島尻のパーントゥ

パーントゥの名前の由来は、”パーン”が「食べる」、”ピトゥ”が「人」という単語が訛り、宮古島の方言では、鬼や妖怪、鬼神を意味する言葉になります。“プナハ”は「祈願祭」の意味で、”パーントゥ・プナハ”とは「パーントゥ神が現れる祈願祭」となります。

海の彼方からの来訪した神様。その島尻のパーントゥが現れるのは旧暦9月。島尻集落では年に3回(旧暦3月末から4月初、旧暦5月末から6月初、旧暦9月吉日)行われ、3回目には、面をつけた来訪神のパーントゥが出現します。

数百年前、干ばつの日々が続いたある日、島尻のクバナという海岸に木でできた黒と赤の仮面が流れ着き、それをかぶり村人を驚かしたところ、雨が降り始めたことにより始まったとも言われています。

「キャーン」と呼ばれるつる草で体を覆い、仮面をかぶって全身に臭い泥を塗った異形の神「パーントゥ」親パーントゥ・中パーントゥ・子パーントゥ3体が集落のはずれにある「ンマリガー」(生まれ井戸)から現れます。まず宗家にあたるムトゥを訪れ、ご挨拶とともに祝い酒を飲み交わし、その後は、3体のパーントゥは四方八方に分かれ、島尻の集落を駆け回り、老若男女と無差別に泥を付けてまわるのです。

泥を塗ることで悪霊を退散させ、厄払いになるといわれていて、地域内で新築の家や赤ちゃんが生まれた家、車などにもパーントゥが入っていき、泥を塗りたくっていきます。この泥がまた強烈な匂いがするのですが、これはは特別な泉「ンマリガー」の底から取られ、かつて産湯には必ずこの泉から汲んだ水が用いられたそうです。泥を塗られるのはパトカーはもちろん、警察官だって例外ではありません!

災厄を払い、福を招く野原のサティパロウ

上野地区野原のパーントゥ、「サティパロウ(サティパライ:里祓い、さとばらい)」という地域の行事がありました。旧暦12月最後の丑(うし)の日に行われる厄払いです。

少年のひとりがパーントゥの面を着けて「ニーマガー」と呼ばれる井戸を出発。成人女性はマーニ(クロツグ)やタドゥナイ(センニンソウ)で作った草冠を頭に被り、草帯を腰に巻いて、両手に悪霊祓いの意味があるツッザギー(ヤブニッケイ)の枝を持っています。その後に他の少年達、2列に並んだ女性達が続いて行列し、「ホーイホーイ」と唱えながら集落を回ります。集落の南西の端にあるムスルンミという場所に到着すると、草冠、草帯や小枝を外し、巻き踊りをして行事は終了します。

観光で行く際、大切なことは、宮古島の地元の人々が神として崇めている「パーントゥ」を尊重し、この地区の伝統行事だということをちゃんと理解しながら参加してくださいね。

宮古島の夏祭り(大綱引き)

大綱引きは各地にあれど、宮古島の大綱引きは理想に近い。大きさよりも姿にこだわる。その姿はまるで天上から舞い降りた龍のよう。

祭は祈り。

何を願っているのか、祭りが意味することはなにか。1年間のくらしを豊かにするために重要な、五穀豊穣、大漁祈願、無病息災、田んぼや海の神さまに収穫を祈り、豊かな実りや大漁への感謝の気持ちを伝える。それが本来の祭の意味。

豊作、豊漁。島での収穫や収入は天気に作用します。そして龍の存在。龍は、西洋では、ドラゴンとして怖がれていますが日本や中国では、水の神様として親しまれています。龍神様は天気を操るとされており、宮古神社の手水舎の両脇にも龍をかたどった像があります。

大綱引きの綱もその龍を象ったもので、雄綱・雌綱に分かれていて、カヌチ棒によって綱が一つになります。これは男女が結ばれ、そして子孫繁栄を表し、それが農作物の豊作へ結びついています。

更に、綱を力いっぱい引くことで無病息災を願い、東西に分かれてその勝ち負けによってその年は豊作なのか、はたまた豊漁なのかが占われます。天候によって左右する農村、漁村の切なる願いが込められているのです。

勝利した方の綱を「勝ち綱」といい、その一部を持ち帰り家に飾ると縁起が良いとされています。

「祭」は農村部中心に「祈り」を込めて行われています。宮古島の祭を通して、あなたの人生を豊かにする願いを込めてみては?

多良間島の八月踊り

日本で最も美しい村といわれ、南島の自然と文化、島人の心が息づく島ている多良間島。宮古島と石垣島の中間に浮かぶ人口はわずか1100人余り。この島で毎年、旧暦の8月8日~10日の3日間に渡って行われる豊年祭。五穀豊穣の感謝と祈願の儀礼で、島の一番大きな行事。その中で演じられる「八月踊り」は、見るものの感性を揺さぶる力強さを感じ涙する人も多いのです。

1600年代、首里王府が宮古・八重山に課した人頭税、その重税に苦しめられた島民が、税金完納のお礼と次年の豊作祈願のために行った八月御願(バチュガツウガン)を起源とし、パチュガツが八月、ウガンは御願の意。つまり「八月踊り」の根源にあるのは“祈り”なのです。

演目は出演者全員の顔見世の儀式である総引き、獅子舞、棒踊、二才踊り、狂言などで構成され、島の人々が伝統を継承しながら感慨深い様々な演目が披露されます。

催行されている3日間は朝10時ごろから夜9時くらいまで、島内のスピーカーから三線のフレーズがループ再生され、朝からどっぷり祭りの空気に。

方言のわからない方でもその喜怒哀楽を感じることができ、ベテランの舞い、丁寧な所作ひとつひとつに目を奪われ、いつの間にか時が過ぎ、夜までその場から動きたくない、そんな気にさせられます。

琉球王朝を感じさせる衣装や物語を見れるのも宮古諸島では多良間島だけではないでしょうか。「豊か」という言葉を五感で感じたいならば八月踊りは必見です。

episode.8
神事を大切に。伝統は受け継がれていくもの。